秩父鉄道、木造駅巡りの旅
熊谷‐三峰口間の木造駅舎を巡る…
先日、用事で東京に行った時、秩父鉄道・秩父本線(秩父線)の木造駅舎を巡ってきました。
秩父鉄道は十数年前に乗りに行ったっきりで、その当時は駅舎に興味が無かった頃なので、ずっと再訪したいと思っていました。事前の情報収集では、かなり期待できそうです。
名駅舎として名高い長瀞駅の木造駅舎。近年リニューアルされ、訪問前にネット上で写真を見て、なんか古き良き趣が無くなってるなぁと幻滅したのですが、なんのなんの。随所に古さが残る非常に味のある駅舎でした。確かにペンキが塗りたてで、つやつやとし過ぎている感じはしましたが…。駅前の丸ポストもいい味を出しています。
駅舎内待合室、木製の造り付けベンチ。年季が入っていますが、ペンキが丁寧に塗られ、大切に使われている様子。
ライン下り、国指定名称天然記念物の岩畳、ハイキングなど、長瀞、秩父観光の拠点で、首都圏から訪れやすいためか、平日にも関わらず、観光客の姿が目に付きました。きっと土曜や休日はもっと賑わうのでしょう。1番ホームの長~い木製造り付けベンチが、行楽客で賑わう駅の様子を物語っているような気がしました。
次はお隣の上長瀞駅へ。下車した時、長くて幅の広いホームと、それを覆う古レールを使った上屋に圧倒されました。何と風格のある風景!
駅舎も地方の主要駅かと思わすほど立派なものでした。写真左側の軒下には、出口専用の木製改札口がいくつも並び隆盛を感じさせます。大きさと風格では長瀞駅を上回っています。
現在はSL「パレオエクスプレス」や急行列車も停車しない静かな駅ですが、駅の規模を見ると、昔はこちらも観光駅として賑わっていたと思わせます。今でも駅前には観光地図が掲げられ、静かな割りには観光客向けの店が数軒あるので、ピーク期はもっと賑わうのかもしれませんが。
和銅黒谷駅にはリニューアルされた木造駅舎が残っています。長瀞駅と上長瀞駅が個性的だったのに対し、和銅黒谷駅の方は素朴でありふれた感じの木造駅舎です。
元は黒谷という駅名だったのですが、この地区で採れた和銅が朝廷に献上されてから1300年になった事を記念し、2008年、現在の駅名に改称されました。この銅で、日本初の流通貨幣と言われ、708年に発行された和同開珎が鋳造されたとの事。ホーム上には和同開珎のモニュメントが設置されています。
三峰口行きの列車に乗っていると、武州日野駅でなにかロケをやっていたので、気になって下車してみました。
駅名標まで別のものが上から貼られていて、見てみると、石岡駅となっていて、次の駅は「いしおかみなみだい」と…。どうやら廃止された鹿島鉄道を模しているようです。武州日野駅は街から離れ木々に囲まれた所にあるので、ちょっと無理があるような気がしますが…。でもリアリティーさを求めるようなものじゃないのでいいのでしょう。スタッフの人に聞いてみると、「天才!志村どうぶつ園」のロケで、12月の特番内のドラマとして放送されるそうです。
そして終点の三峰口駅へ。改札口では駅員さん心尽くしの小さな秋が乗客を出迎えてくれました。
パレオエクスプレスの終点だったり、三峯神社の最寄り駅だったり、この駅も観光の拠点駅なのですが、鉄道ファン的には駅に隣接した秩父鉄道車両公園でしょう。電車、貨車、電気機関車などかつて秩父鉄道で活躍した車両が展示され、ほどんどの車両で内部に入る事ができます。貨車の中に入ったのは生まれて初めてで面白かったです。
ひっそりと余生を送る秩父駅旧駅舎
日が傾きかけた頃、最後に秩父駅の旧駅舎を見に行きました。現在では秩父駅から車で10分程の所に移築されています。
お墓の側というのがちよっとという気はするのですが、こんな素晴らしい建物をよく残してくれたなもの。広い瓦屋根に塔屋が載った和洋風木造駅舎で、ハーフティンバーの造りも印象的です。床面は長瀞駅と同じく正方形に近くなっています。秩父鉄道の駅舎設計の思想なのでしょうか…?
以前は同じ場所に移築された洋風建築の旧大宮学校とともに秩父市立民俗博物館として公開されていたのですが、閉館となり旧大宮学校の方は取り壊しとなってしまいました。入口の看板によると年に何日か公開日があるそうです。どの位、内部が駅としての原形を保ってるかは解りませんが、見てみたいと思います。
今回は羽生-熊谷間を訪れる事ができず少し残念ですが、いつの日か必ず訪問したいです。
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- 2009年11月13日