高山本線・JR西日本管内、富山‐猪谷間の木造駅舎巡る旅
あまり足を伸ばす機会が無い高山本線の北部区間へ…
先日、高山本線の駅舎巡りの旅をしてきました。
高山本線の南部は名古屋から比較的近く普通列車利用でも日帰り圏内で、何度か足を運んでいるのですが、高山以北、特にJR西日本管内の猪谷駅‐富山駅間はそうはいかず、思えば駅巡りをした事はありませんでした。
当日は夜行バス「北陸ドリーム名古屋号」で早朝の5時過ぎに富山に到着。そして富山駅始発5時42分発の1番列車に乗りました。早過ぎでもうちょっと寝ていたい気もしますが、朝は通勤通学対策でローカル線でも比較的列車の本数が集中しているので、より多くの駅を訪問する事ができます。まさに早起きは三文の徳です。
高山本線JR西日本管内色の木造駅舎
富山から1駅の西富山駅(写真上)、その3駅先の千里(ちさと)駅(写真下)と立て続けに下車しました。「高山本線JR西日本管内色」と言えるような、この区間で見られる肌色と茶色のツートンカラーという塗装で、駅舎の大きさも大体同じなため、パッと見て何か同じような印象を受けてしまいます。もちろん実際に降り立つと印象はまったく違う訳で…。
西富山駅はかつての隆盛を偲べる広い構内が印象的でした。今でこそ島式ホームの旧3番線が廃された2面2線ですが、かつては3番線も使われ2面3線と思われ、更に留置線も擁していたようです。
千里駅の木製駅名看板。駅舎リニューアル前から使われているのか…?大木から切り出した一枚板に「千里駅」と彫り込まれた様は、きれいに整備された木造駅舎にレトロな重厚感を添えます。
朝7時を過ぎ、千里駅の富山方面行きホームでは多くの乗客が列車を待っていました。
越中八尾駅、威容ある木造駅舎
そして越中八尾駅で下車。駅舎は西富山、千里駅より規模が大きく、ほとんどの時間で駅員が配置される有人駅で、富山から乗ってきて最初の主要駅と言える存在です。縦長の窓も印象的な木造駅舎ですが、きれいにリニューアルされていて、あのJR西日本管内色に。外観は古き良き趣きはそれほどでもありませんでしたが…
待合室を見ると、そんな思いは覆され、おお…と感嘆するようなものを残していました。漆喰で固められた天井には照明の台座が2つ残っていました。そして、天井と壁面の境目辺りが、緩くカーブが付け固められ処理されている点が目を引きます。普通は単純に天井を載せたという造りがほとんどです。しかし、こんな細かい所にこんな凝った装飾を施すとは…驚かされました。そして、縦長の窓もあいまってレトロで洋風なムードをそこはかとなく漂わせている所は、古駅舎の風格漂います。
もう一つこの駅でおおっ!と思ったのが、駅売店のキオスクが現役である事です。ローカル線は主要駅でも駅売店が撤退する場合が珍しくなくなってきているので嬉しい事です。おかけで、ここで朝食用のパンを手に入れ、この先食いはぐれる事が無いよう、念のため菓子も買っておきました。
越中八尾駅のある八尾町は9月に開催される「おわら風の盆」で有名で、この駅への臨時列車も多数運行されます。きっと期間中は、駅は大賑わいする事でしょう。
猪谷駅、山間の要衝駅も今は昔…
越中八尾を過ぎると、車窓は徐々に山深い風景に変わっていき、猪谷駅まで来ると、もう山中の集落と言った雰囲気になります。ここまでがJR西日本区間で、以南がJR東海管内となります。
ここも広い構内が印象的です。そんな構内で、ホームは駅舎からいちばん離れた辺りに島式ホームが一面設置されているのみで、駅舎に行くには構内通路で何線ものレールを横切らなければいけません。もうちょっと駅舎に近い位置に設置してくれればと思います。特にこんな雨の日は…。以前は神岡鉱山関連の貨物輸送で賑わい、高山本線と神岡線(後の神岡鉄道、廃線)の分岐駅としてなど、旅客よりも運行上の拠点としての比重の方が強かったゆえの配線なのでしょう。
駅舎もやや大きめの木造駅舎で主要駅の趣きですが、無人駅となりキオスクもとうに閉店されています。先程の列車から降りたのは私の他は乗り鉄と思しき一人だけ。待合室の薄暗さもあいまって、寂しい雰囲気が漂います。
次の列車まで小1時間あったので駅前をぶらつきます…
通りがかりのグランドの隅に昔の小学校の定番、二宮尊徳像(二宮金治郎)が…。この像が、ここはかつて小学校の校庭だった事を教えてくれました。併設された石碑によると、猪谷小学校ははるか古く明治7年(1874年)の創立。そして平成15年(2003年)3月に閉校となり、その長い歴史を閉じました。
国道41号線から曲がり猪谷駅へと続く道。
そして、美濃太田行きの列車で、まだ見ぬ駅、そして馴染み深いいくつかの木造駅舎を巡りました。
- カテゴリー: 駅訪問フォト日記
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- 2013年07月31日